4月30日にリリースされた≠ME(ノイミー)のシングル曲「モブノデレラ」が快調だ。≠MEの記念すべき10枚目となる同シングルは、5月8日付の「オリコン週間合算シングルランキング」で1位を獲得。5月末にはYouTubeのミュージックビデオが1,000万回再生を突破した。
作曲は乃木坂46「君の名は希望」「きっかけ」などで知られる杉山勝彦と新人・関口颯太による共作。流麗で情緒的なメロディーで物語性の強い楽曲を得意とする杉山作品とあって、切なくもドラマチックな展開と指原莉乃による詞がマッチした美しい楽曲に仕上がっている。共作の関口はなんと現役高校生とのことで今後にも期待がかかる。
「モブノデレラ」は童話『シンデレラ』のストーリーをベースに、物語のヒロインとして脚光を浴びるシンデレラではなく、その陰で誰に注目されることもなく自らの行く末を憂うばかりの「モブ」に焦点を当てた楽曲。童話『シンデレラ』は、「シンデレラ・ストーリー」として代名詞的に扱われるほどに明快な出世譚ストーリーと、カボチャの馬車・ガラスの靴・舞踏会・12時の鐘といった象徴的なモチーフの美しさから古今東西根強い人気がある物語。そしてアイドルソングにも、『シンデレラ』を題材とする楽曲がたくさん存在している。そこで本稿では、「モブノデレラ」を起点として『シンデレラ』のモチーフを扱ったアイドルソングをピックアップし、この物語が今なお愛され、特にアイドルソングとして再解釈される中で、どのように時代を映しているのか見ていこう。
童話『シンデレラ』
最初にそもそも『シンデレラ』とは、というところを振り返っておこう。『シンデレラ』は、特定の一作品というよりも、世界的にいくつもの例が見られる物語の類型といった方が正確であり、現代日本ではペロー童話によるものとグリム童話によるもの、さらにペロー童話版を下敷きとして構成されたディズニーのアニメ作品『シンデレラ』(1950年)が広く知られている。編纂者や地域・言語、翻訳転写により「アッシェンプッテル」「シンダーエラ」「サンドリヨン」など異名も多く存在し、そのうち最も定着しているのがディズニー版のタイトルとなった「シンデレラ」であるが、これらはいずれも「灰被り(姫)」といった意味合いで、主人公の娘が虐待され家事を押し付けられる中で(あるいは寝床としてかまどを与えられて)灰まみれになっている様子に由来するもの。
ストーリーもタイトル同様にさまざまなバリエーションがあるが、おおむね「継母とその連れ子の姉たちにいじめられみすぼらしい姿で暮らす主人公シンデレラが、魔法の力で美しいドレスや靴を手に入れてお城の王子様の舞踏会に参加。王子様に見初められるが、魔法が解ける時間がやってくると城から逃げ出してしまう。その際に落とした靴(ガラスの靴、金の靴など)を拾った王子様が、そのサイズに合う娘を捜索し、意地悪な姉たちを含めて誰の足にも靴が合わない中、シンデレラの足にはぴったりと合う。舞踏会の美しい娘の正体がシンデレラだとわかり、シンデレラと王子は幸せに結ばれる——」というのが典型的な流れである。
参考1: Brothers Grimm (1823) “Aschenputtel” translated by Edgar Taylor and Marian Edwardes(グリム童話版、大久保ゆう 訳)
参考2: 「世界おとぎ文庫(イギリス・フランス童話篇)妖女のおくりもの」小峰書店(ペロー童話版、楠山正雄 訳)
≠ME「モブノデレラ」
「モブノデレラ」は上述のとおりあえてシンデレラ当人ではなく「モブ」に焦点を当てた楽曲。「あえてモブに“スポットライトを当てた”」ではないところ、つまり、物語の対象として注目はするが決して「モブ」の現状が打開されるような劇的な結末が待っているわけではないというところが作詞者の指原莉乃らしいポイントである。
モチーフとしては、〈ブルーのドレス ガラスのシューズ〉というサビ頭のフレーズが、ディズニー版のキャラクターデザインを思わせるようになっている。『シンデレラ』における最も印象的なモチーフはやはりシンデレラの「ヒロイン性の証明」とイコールで結ばれる“ガラスの靴”であろう。しかし「モブノデレラ」では、特にディズニープリンセスとしてのシンデレラのイメージとして鮮烈な「ブルーのドレス」をサビに登場させつつ、「ドレスの色」に着目したモチーフ展開が組まれているのが興味深い。1番のAメロで〈世界はいつもカラフルだった〉〈誰かの色が混ざってきて私だけグレーになっていった〉と描くことで「色」による境遇の表現がリスナーにインプットされ、この“グレー”のイメージがサビの頭で〈ブルーのドレス〉と切り替わることで、楽曲の主人公“モブノデレラ”の悲哀が切なくも鮮やかに強調されるのである。
指原莉乃といえば現役アイドル時代にまさに見事なシンデレラストーリーを描いてみせた成功者として知られているが、その成功体験の裏返しとも言える「モブ」の視点を失わず、このように具体化してみせる作詞家としての技量が素晴らしい。自身のセンター楽曲「恋するフォーチュンクッキー」(2014年)で当て書きされた〈まわりを見れば大勢の可愛いコたちがいるんだもん/地味な花は気づいてくれない〉というフレーズは「モブノデレラ」の源流ともいえそうな視座を与えているのだが、同曲が〈あなたとどこかで愛し合える予感〉とポジティブに転換するのに対して、「モブノデレラ」は最後まで〈あなたの中ではヒロインじゃない〉と頑なな諦観を貫くのであるから、その結論は全く真逆。「センター」「ヒロイン」「お姫様」「主人公」が注目される陰で決して光を浴びることのない存在に着目しつつ、その存在に対して明るい未来の訪れを暗示して勇気づけるのではなく、諦めや割り切りといった心情によってその姿をリアルに描き出すというのが、指原の考える2025年現在のアイドルとしての方法論なのであろう。